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神戸地方裁判所 平成7年(ワ)1089号 判決 1996年12月19日

主文

一  被告は、原告山口昌子に対し、

1  金八万一七七四円及びこれに対する平成七年三月一九日から、

2  金三八万円及びこれに対する平成七年八月二七日から、

3  金二〇万五八三〇円及びこれに対する平成八年三月一八日から、

各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告森絹枝に対し、

1  金八万三二二五円及びこれに対する平成七年三月一九日から、

2  金一二万三〇〇〇円及びこれに対する平成七年八月二七日から、

3  金三四万五三三〇円及びこれに対する平成八年三月一八日から、

各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告両名のその余の請求を棄却する。

四  原告両名に生じた訴訟費用のうち三分の一を原告両名の負担とし、その余の訴訟費用を被告の負担とする。

五  その判決は主文一及び二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告山口昌子(以下「原告山口」という。)に対し、

(一) 八万一七七四円及びこれに対する平成七年一月一八日から、

(二) 八九万〇三四四円及びこれに対する平成七年三月一一日から、

(三) 五万円及びこれに対する平成八年一二月二〇日から、

各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告森絹枝(以下「原告森」という。)に対し、

(一) 八万三二二五円及びこれに対する平成七年一月一八日から、

(二) 七七万二八四四円及びこれに対する平成七年三月一一日から、

(三) 五万円及びこれに対する平成八年一二月二〇日から、

各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告両名の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告両名の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告両名と被告との間の賃貸借契約

原告山口は、被告から、家賃を月額一六万円、管理費を月額九〇〇〇円、敷金額を一五〇万円とする約定により、神戸市灘区六甲町一丁目一番地二及び一番地四所在の鉄筋コンクリート造スレート葺一〇階建共同住宅サンビルダー六甲(以下「本件マンション」という。)のうち、被告が所有する五階部分の居宅五〇五号室50.83平方メートル(以下「五〇五号室」という。)を賃借し(以下「五〇五号室賃貸借契約」という。)、原告森は、被告から、家賃を月額一六万三〇〇〇円、管理費を月額九〇〇〇円、敷金を一五〇万円、とする約定により、本件マンションのうち、被告が所有する六階部分の居宅六〇五号室50.83平方メートル(以下「六〇五号室」という。)を賃借し(以下「六〇五号室賃貸借契約」という。)、原告両名は、平成五年七月末ころ、右賃借家屋に入居したものである。

また、五〇五号室賃貸借契約及び六〇五号室賃貸借契約(以下、これら契約をあわせて「本件賃貸借契約」という。)に際しては、明渡しの後も返還を要しない敷金額を三〇万円とする旨のいわゆる「敷引き」に関する特約(以下「本件特約」という。)がされている。

2  本件マンションの被災

五〇五号室及び六〇五号室(以下、これら二室を「本件居室」という。)は、平成七年一月一七日に発生した兵庫県南部地震により、上下水道・水洗トイレ、ガスが使用できなくなり、近隣からの類焼で階下の居室が全焼した影響により、その室内には大量の煤がこびりついたり異様な臭気が充満し、窓ガラス全面にひびが入り、五〇五号室については住宅付属設備が熱で溶け、六〇五号室については窓ガラスの一部が欠けるという被害を受けた。また、本件マンションのエレベーターは右地震の後には作動せず、本件居室への出入りも不自由となった。このような状態は、原告両名が本件居室を明け渡した平成七年三月一〇日まで継続していたのであった。

したがって、本件居室は、右地震の日から右明渡しの日まで、全面的に使用不能の状態にあったといわなければならず、その間、本件居室に係る家賃及び管理費(以下「家賃等」という。)の支払義務は発生しなかった。

3  賃貸借の終了

(一) 本件賃貸借契約は、本件居室が使用不能となったことにより、平成七年一月一七日、目的物の滅失により当然に終了した。

(二) 仮にそうでないとしても、原告両名は、平成七年一月末日までに、被告に対して賃貸借の解約の申入れをしたから、本件賃貸借契約は、右同日あるいは約定の解約申入期間である一か月経過後の平成七年二月末日までに終了した。

4  既払家賃等に係る被告の不当利得

(一) 被告は、平成六年一二月、原告山口から五〇五号室に係る平成七年一月分の家賃等一六万九〇〇〇円の、原告森から六〇五号室の同月分の家賃等一七万二〇〇〇円の支払を受けた。

(二) しかしながら、右家賃等のうち平成七年一月一七日から三一日までの一五日間に係る部分は、家賃等債権が発生しなかったのに被告が収受したものであるから、被告において原告両名に返還すべき不当利得金となる。

5  補修・清掃費に係る被告の不当利得

(一) 被告は、原告両名に対し、本件居室の明渡しを行う際には地震後の火災で黒ずんだ室内のクロスの貼替えを要求したが、そのような補修は、本来は、家主である被告において、本件居室の修繕義務として行うべきことであり、少なくとも、原告両名にはこれを行う義務がなかった。

また、被告は、原告両名に対し、本件居室の明渡しを行う際には本件居室の清掃を要求したが、原告両名は、いずれも、本件賃貸借契約締結時において、被告に対し、清掃費として、それぞれ二万円の費用の前払いをしていたから、そのような清掃は、本来は、家主である被告において、本件居室の修繕義務として行うべきことであり、少なくとも、原告両名にはこれを行う義務がなかった。

(二) しかしながら、被告が、原告両名において右補修・清掃を行わなければ敷金の返還をしない旨を述べたため、原告両名は、やむなく、業者に依頼して右補修・清掃を行い、原告山口は、補修費三六万円及び清掃費二万四五一四円の合計三八万四五一四円の支払をし、原告森は、補修費一〇万三〇〇〇円及び清掃費二万四五一四円の合計一二万七五一四円の支払をした。

(三) したがって、被告は、原告両名が右補修・清掃を行ったことにより、原告両名の支出額に相当する出捐を免れたから、その不当利得額を原告両名に返還すべきことになる。

6  敷金の未払額

(一) 被告は、本件居室の明渡しを受けた際、原告山口に対して敷金九九万四一七〇円を返還し、原告森に対して敷金八五万四六七〇円を返還した。

(二) しかしながら、本件居室は、住宅金融公庫の低利融資の対象物件であり、敷金のうち一定金額の返還を要しない旨を予め定める「敷引き」は禁じられており、本件特約も公序良俗に抵触する無効なものというべきである。

したがって、被告は、本件居室の明渡しを受けた平成七年三月一〇日、原告両名から受領した敷金一五〇万円全部の返還をすべきであるから、原告山口に対して五〇万五八三〇円の、原告森に対して六四万五三三〇円の敷金をさらに返還すべきことになる。

7  被告の不法行為

被告は、原告両名の再三の要求にもかかわらず、根拠が明らかでない費用を敷金から控除するなど何らの正当な理由なくして敷金返還義務を争い、敷金全額の返還に応じなかったが、このような義務の否認は不法行為に該当する。

原告両名は、敷金全額の返還を求めるため、本件訴訟代理人弁護士に委任して本訴を提起し、必要な弁護士費用の支出を余儀なくされたところ、右不法行為と相当因果関係に立つ弁護士費用の額は、原告両名につき各五万円である。

8  結論

よって、原告山口は、被告に対し、(一) 既払家賃等に係る不当利得金八万一七七四円、(二) 補修・清掃費に係る不当利得金三八万四五一四円、(三) 未払敷金五〇万五八三〇円、(四) 不法行為に基づく弁護士費用相当の損害賠償金五万円の合計一〇二万二一一八円の支払を、原告森は、被告に対し、(一)既払家賃に係る不当利得金八万三二二五円、(二) 補修・清掃費に係る不当利得金一二万七五一四円、(三) 未払敷金六四万五三三〇円、(四) 不法行為に基づく弁護士費用相当の損害賠償金五万円の合計九〇万六〇六九円の支払を求めるとともに、原告両名は、被告に対し、右(一)については利得が生じた日の翌日である平成七年一月一八日から、右(二)及び(三)については明渡しの翌日である平成七年三月一一日から、右(四)については本判決言渡し日の翌日(平成八年一二月二〇日)から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1については、敷金額及び本件特約の存在を否認し、その余の事実を認める。

被告は、本件賃貸借契約の際、原告両名から、それぞれ一五〇万円の一時金の交付を受けたが、そのうち敷金の性質を有する金員として授受されたのは、本件賃貸借契約のいずれにおいても、契約書(甲第一号証及び第三号証)五条に敷金として記載された一二〇万円だけであり、その余の三〇万円は預り金であった。

2  同2については、本件マンションが兵庫県南部地震によって被災したこと及び原告両名が平成七年三月一〇日本件居室を明け渡したことは認めるが、本件居室が地震後使用不能となった事実は否認する。

本件居室の直下の四〇五号室は地震後も居住を継続していたことからも明らかなとおり、本件居室は、地震によって使用不能となったのではないし、原告両名は、何ら民法六一一条所定の家賃減額請求をしないまま、地震後も本件居室を排他的に占有していたのであるから、地震後明渡しまでの間の家賃全額を支払う義務があったというべきである。なお、エレベーターは、平成七年二月一〇日には復旧している。

3  同3の各事実は否認する。

本件居室は地震によって滅失などしていないし、本件賃貸借契約は、原告両名と被告が平成七年二月二三日に合意解除することによって終了したものである。

4  同4のうち(一)の事実は認めるが、(二)は争う。

5  同5のうち(一)及び(三)の事実は否認し、(二)の事実は知らない。

本件居室のクロス等に付着した煤はバケツ一杯の水と洗剤で拭き取ることができたのに、原告両名がそのような清掃をせず、いわば賃借人として日常負担すべき善良な管理者としての賃借物保管義務を怠った結果、拭いても取れない状態となって、最終的にはクロスの貼替えや清掃が必要となったのである。したがって、原告両名の行った補修・清掃は、賃借人が明渡しに伴う原状回復義務の履行として行うべきものであって、これに要した費用が不当利得となる余地はない。

6  同6のうち、被告が本件居室の明渡しを受けた際原告両名に返還した金額は認めるが、その余は争う。

原告両名が敷金一二〇万円のほかに被告に交付した三〇万円の預り金については、その趣旨が必ずしも明確ではなかったため、被告としては、その三〇万円を、原告両名の入居後の平成五年八月分以降、毎月、家賃不足額九〇〇〇円(本件居室の家賃は、被告が賃借人募集の際に広告していた金額よりも月額にして、それぞれ九〇〇〇円安かった。)に充当するとの会計処理をしていた。本件居室の明渡しがされた平成七年三月時点において家賃不足額に充当された額は、本件居室それぞれについて各一七万一〇〇〇円(九〇〇〇円の一九か月分)であり、被告は、本件居室の明渡しを受けた際、返還すべき敷金に加え、家賃不足額に充当されなかった預り金の残額一二万九〇〇〇円を返還したものである。

7  同7は否認し、同8は争う。

三  抗弁

原告両名に返還すべき敷金一二〇万円から控除すべき金額は次のとおりである。

1  原告山口(五〇五号室)関係

(一) 未払家賃等 二二万五三三〇円

平成七年二月分一六万九〇〇〇円及び三月分(一〇日分)五万六三三〇円の合計額

(二) エアコン償却費 一〇万円

(三) 畳一枚の交換費(補修費)九五〇〇円

2  原告森(六〇五号室)関係

(一) 未払家賃等 二二万九三三〇円

平成七年二月分一七万二〇〇〇円及び三月分(一〇日分)五万七三三〇円の合計額

(二) エアコン償却費 一〇万円

(三) クロス貼替費(補修費) 一四万四五〇〇円

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は、被告がその主張の費目・金額による控除を行って原告両名に敷金を返還した事実は認めるが、その控除が正当であるとの点は争う。

原告両名には未払家賃などはないし、エアコン償却費などというものは、何ら控除すべき根拠が明らかではない。また、本件居室は、住宅金融公庫の低利融資の対象物件であり、明渡しの際、賃貸借に伴う通常の損耗分をも賃借人に原状回復させることは禁止されており、本件賃貸借契約においても、通常の損耗分の補修費まで返還すべき敷金から控除することはできないと解すべきである。そして、被告が抗弁1(三)及び同2(三)で主張する補修費というものは、通常の損耗分に係る補修費にすぎないと考えられるから、その金額を敷金から控除することはできない。

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこの記載を引用する。

理由

一  請求原因1のうち敷金額及び本件特約の存在以外の事実、同2のうち本件マンションが兵庫県南部地震によって被災した事実及び原告両名が平成七年三月一〇日本件居室を明け渡した事実、同4(一)の事実、同6(一)のうち被告が本件居室の明渡しを受けた際原告山口に九九万四一七〇円を、原告森に八五万四六七〇円をそれぞれ返還した事実は当事者間に争いがないところ、その争いのない事実に、甲第一号証ないし第一八号証、第一九号証の一及び二、第二〇号証、第二一号証、第二二号証の一及び二、検甲第一ないし第三号証、乙第一号証、原告両名の各本人尋問の結果、被告代表者本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  被告は、平成五年四月当時、(一) 敷金一二〇万円、(二) 五〇五号室については家賃月額一六万九〇〇〇円、六〇五号室については家賃月額一七万二〇〇〇円、(三) 管理費月額九〇〇〇円、(四) 明渡しの際には実費で入居時の状態に復旧すべき原状回復が要求されるが、敷引きはされないという条件で、住居として建築された本件居室の賃借人を募集し、不動産業を営むファミリーライフ株式会社(以下「訴外会社」という。)にも、その条件での賃借人の仲介を依頼していた。

原告両名は、上下二室となる本件居室の賃借を希望して訴外会社を訪れたが、月々支払う家賃の値引きを希望していたことから、訴外会社の代表者で宅地建物取引主任者でもある難波昌彦(以下「難波」という。)に対し、敷引きがあっても構わないから家賃の値引きを要求した。

2  難波は、被告の担当社員に本件居室の賃貸条件の変更の可否について問い合わせ、敷金を一五〇万円とし敷引きを三〇万円とする条件でなら家賃を月額九〇〇〇円減じて本件居室の賃貸に応じるとの連絡を受けたので、その旨を原告両名に伝え、原告両名も、右のように変更された条件での賃借を承諾した。

そこで、難波は、平成五年四月三〇日、重要事項説明書(五〇五号室分が甲第二号証、六〇五号室分が甲第四号証)を交付して、原告両名に対し、次のとおり賃貸条件を明示し、その際、火災保険料各二万円及び退去時の清掃費の前払金各二万円が必要である旨を説明した。

原告山口(五〇五号室)関係 原告森(六〇五号室)関係

(一)  保証金

一五〇万〇〇〇〇円   一五〇万〇〇〇〇円

(二)  解約引き

三〇万〇〇〇〇円    三〇万〇〇〇〇円

(三)  家賃

一六万〇〇〇〇円    一六万三〇〇〇円

(四)  共益費

九〇〇〇円      九〇〇〇円

3  原告両名は平成五年四月三〇日ころ、訴外会社に対し、右保証金、火災保険料、清掃費のほか媒介料を支払い、同年七月二六日ころ本件居室に入居し、ここを生活の本拠としたところ、同年七月三一日に至って、被告の担当社員から本件賃貸借契約に係る契約書(五〇五号室賃貸借契約に係るものが甲第一号証であり、六〇五号室賃貸借契約に係るものが甲第三号証であるが、家賃の記載に違いがあるだけであり、以下、一括して「本件契約書」という。)の交付を受けた。

ところが、本件契約書中の家賃及び共益費の記載(六条及び七条)は重要事項説明書のとおりであったが、敷金の記載(五条)は重要事項説明とは異なり、各一二〇万円としか記載されていなかった。そこで、原告両名が被告担当社員に敷金の記載が事実と異なることにつき異議を述べたところ、原告両名は、いずれも、そのころ、本件契約書とは別に被告発行の三〇万円の領収書の交付を受けた。

4  本件契約書に記載された敷金・家賃・共益費の記載以外の契約の概要は次のとおりである。

(一)  賃貸借の期間は平成五年八月一日から二年間とし(三条)、賃借人からの解約申入期間は一か月とする(四条)。

(二)  賃借人は毎月二八日までに翌月分の家賃等を支払う(六条)。

(三)  賃借人は、入居中のエアコンその他附帯設備の小修理を負担する(九条二項)。

(四)  賃借人は契約終了時に賃借物件を実費にて復旧させたうえで明渡しをすべきところ、その実費の目安は、エアコン償却費一〇万円、畳・クロス・カーペットの交換及び洗浄費二六万円である(一四条一項、なお、以下、この条項で述べられている費用を「復旧費」という。)。

(五)  賃貸人は、明渡しの後七日以内に敷金から復旧費を控除した残額を賃借人に支払う(一五条一項)。

(六)  契約日から二〇年以上の解約となった場合には、賃貸人は、復旧費を控除しない敷金全額を返還する。

5  平成七年一月一七日未明に発生した兵庫県南部地震により、本件居室玄関扉と廊下の間のプレートが落下し、玄関扉の足下が約一五センチメートルの幅で欠落し一階まで吹き抜ける状態となり、居室への出入りに危険が感じられる状態となり、五〇五号室の外壁のタイルも大きく剥げ落ちた。

また、同日午前に発生した近隣の火災の類焼によって、本件居室の下の三〇五号室は、内壁までが真っ黒に焼けこげ、その際に発生した激しい熱や煤により、五〇五号室は、その内装がすべて煤で黒くこげたようになり、網戸・カーテン・照明器具・エアコン室内機・台所の戸棚などが溶けて使用不能となり、バルコニーの樋やエアコン室外機も焼けたり曲がったりして壊れ、サッシ窓のガラスも各所にひび割れが生じ、六〇五号室は、その内装が煤で汚れ、網戸・カーテンなどの設備が溶けて使用不能となり、バルコニーの樋やエアコン室外機も焼けたり曲がったりして壊れ、サッシ窓のガラスが一か所で破れ、破れていない部分にも各所でひび割れが生じ、本件居室の室内全体は、ガスによる悪臭が充満した。

6  本件マンションのエレベーターは平成七年二月中旬に復旧し、本件マンションの排水設備は平成七年二月末ころに至って概ね点検・補修が完了したが、本件居室への上水道及びガスの供給は平成七年三月一〇日ころまでには再開されていなかったし、本件居室については下水の排水ができない状態にあった。

もっとも、本件マンションは、本件居室を含め、柱、壁、廊下、階段、屋根・天井といった基本的な構造部分には破損・滅失がなく、火災で被害を受けた配管その他の附帯設備、外装の一部を補修することができ、実際にもそのような補修はされている。

7  原告両名は、地震直後から知人宅等へ避難し、本件居室では起居していなかったところ、平成七年一月末ころ、被告へ電話連絡し、電話で応対した被告の従業員に本件賃貸借契約の解約を申し入れた。原告両名は、平成七年二月二三日、本件マンションで被告代表者と会って退去日等について話し合い、その際、敷金一五〇万円全額の返還を求めたが、被告代表者は、原告両名に対し、クロスの貼替えや清掃をして入居時の状態へ原状回復しなければ敷金の返還に応じないと述べた。

そこで、原告両名は、敷金の返還を受けるには、とりあえず被告代表者の要求する補修・清掃を行うしかないと判断し、原告山口は、業者に依頼して五〇五号室のクロス全部を貼り替え、水道が使用できなかったため清掃についても専門の業者に依頼し、原告森は、業者に依頼して六〇五号室のクロスのうち汚れのひどい部分を貼り替え、原告山口と同様に、水道が使用できなかったため清掃についても専門の業者に依頼した。

原告両名による右補修・清掃は、退去日として合意され実際に明渡しが行われた平成七年三月一〇日に完了し、原告山口は、補修費三六万円及び清掃費二万四五一四円の合計三八万四五一四円を業者に支払い、原告森は、補修費一〇万三〇〇〇円及び清掃費二万四五一四円の合計一二万七五一四円を業者に支払った。

8  被告は、原告山口に対しては、敷金一五〇万円から、(一) 平成七年二月分及び日割計算による三月分の未払家賃等二二万五三三〇円、(二) エアコン償却費一〇万円、(三) 畳一枚の交換費九五〇〇円、(四) 平成五年八月から平成七年二月までの一九か月に係る毎月九〇〇〇円の費用一七万一〇〇〇円の合計五〇万五八三〇円を控除した残額九九万四一七〇円を返還した。

右にいう畳一枚の交換費は、地震の際に仏壇からこぼれた水による畳の汚損を原因とするものである。

9  また、被告は、原告森に対しては、敷金一五〇万円から、(一) 平成七年二月分及び日割計算による三月分の未払家賃等二二万九三三〇円、(二) エアコン償却費一〇万円、(三) クロス貼替費一四万五〇〇〇円(被告において、原告森が貼替えをしなかった部分のクロス貼替えをした費用)、(四) 平成五年八月から平成七年二月までの一九か月に係る毎月九〇〇〇円の費用一七万一〇〇〇円の合計六四万五三三〇円を控除した残額八五万四六七〇円をそれぞれ返還した。

右にいうエアコン償却費とは、本件居室に付属するエアコン設備を日常使用することによって生じる設備の損耗を、予め一定金額で賃借人に弁償させる趣旨のものである。

10  原告両名は、いずれも、平成七年三月一八日被告に到達した内容証明郵便により、同年一月一七日以降の家賃の返還や敷金の全額返還を求める旨の催告をしたが、被告がこれに応じなかったため本訴を提起した。

二  本件賃貸借契約における敷金額について

右認定によれば、本件賃貸借契約における敷金や家賃については、仲介者である訴外会社(不動産の媒介業者は必ずしも代理人とはいえない。)を通じての被告及び原告両名との間の交渉により、敷金額を募集条件よりも高額の一五〇万円とし、そのうち三〇万円を返還されない敷引きとし、逆に、家賃月額を募集条件よりも九〇〇〇円値引きする旨が合意されていることが明らかであり、右三〇万円が敷金ではない預り金として授受されたとの被告の主張は失当である。

三  本件賃貸借契約の終了原因について

右認定によれば、本件居室を含む本件マンションは、平成七年一月一七日の兵庫県南部地震の後も、土地に定着し、屋根及び壁という基本構造によって風雨を遮断するという建物の効用を有していたと考えられるから、建物の効用を廃して滅失したわけではなく、必要な補修を加えることによって元通りに使用することが可能であったといわなければならない。したがって、地震による賃貸目的物の滅失により本件賃貸借契約が当然に終了したとの原告両名の主張は失当である。

もっとも、原告両名は、平成七年一月末ころには被告に解約申入れをしたものと認めることができるから、その一か月後の平成七年二月末ころ、本件賃貸借契約は終了したものというべきである。

四  原告両名の不当利得返還請求について

1  右認定によれば、本件居室は、右地震の後も建物の効用を維持してはいるものの、地震及びこれに引き続く火災という不可抗力により、食事・入浴・用便・就寝といった日常生活を正常に行うことが不可能となったといわざるをえない。そして、本件賃貸借契約が日常生活の本拠となる住居の提供を目的として行われたことは明らかであるから、右地震の後は、本件賃貸借契約が目的とした本件居室の使用収益が全面的に制限される状態になったのであるから、賃貸人である被告は、火災で汚損した内装の補修やエアコン・上下水道などの諸設備の補修をし、本件居室を日常生活に適した原状に復旧する修繕義務を負うことになる(不可抗力が原因であるとしても賃貸人の修繕義務が当然に免責されるものではないし、本件居室の家賃等の月額がかなり高額なものであったことに照らせば、修繕義務の範囲に一定の合理的な制限があったと解することもできないところである。)。

2  ところで、民法六一一条は、賃貸建物の一部滅失の場合の賃借人の賃料減額請求(又は解除請求)を定めるが、この規定は、滅失部分の原状復旧が賃貸人の義務ではないこと、すなわち、賃貸人の賃借人に対する修繕義務が生じない場合に適用されることを前提としており(もとより賃貸人が自己の権利行使として原状復旧を行うことを禁止しているわけではない。)、本件のように、賃貸目的物が何ら滅失していないが使用収益が全部制限されており、賃貸人の修繕義務が発生するという場合にまで、当然に適用される規定と解することは困難である。

このような場合には、民法五三六条一項の類推適用により、賃貸人の修繕義務が履行され使用収益が可能となるまでの間は、賃貸人は使用収益の対価である賃料の支払を受ける権利を有せず、賃借人は賃料支払義務を免れると解するのが相当である(修繕義務の履行まで賃料の支払を拒絶できるとの延期的抗弁―同時履行の抗弁―による法的解決を図ることは、使用収益できなかった期間の賃料が発生するとの不合理な結果を招来するので相当ではない。)。

3  したがって、被告は、原告両名から前払いを受けた平成七年一月分の家賃のうち、同月一七日から三一日までの本件居室の家賃等を(日割計算により、原告山口に係る分が八万一七七四円、原告森に係る分が八万三二二五円となる。)、不当利得として返還すべきことになる。

また、右不当利得金返還債務は、弁済期の定めがない債務として発生しているから、平成七年三月一八日到達した催告によってその日に弁済期が到来したといわなければならない。

4  本件においては、原告両名は、自ら解約申入れを行って修繕前でも退去する旨の意思を明らかにしたとみられるから、被告の原告両名に対する修繕義務の現実の履行は求められておらず、被告がこれを行うとすれば、新たな賃借人を募集するための準備行為であるというほかないが、原告両名は、被告に求められるままに、原告両名の義務に属しないクロス貼替えを行っており、被告はこれにより出捐を免れているから、被告は、原告両名に対し、クロス貼替費相当額(原告山口に係る分が三六万円、原告森に係る分が一〇万三〇〇〇円である。)を不当利得として返還すべき義務を負う。

5  また、本件賃貸借契約に際しては、退去時の清掃費用も前払いされているから、原告両名は、被告に求められるままに、原告両名の義務に属しない退去時の清掃をも業者に依頼して行わせ、その清掃代金を支払っており、被告はこれにより清掃のための出捐をも免れているから、被告は、原告両名に対し、清掃費相当額(原告両名につき各二万円である。)を不当利得として返還すべき義務を負う。

6  右補修・清掃費に係る不当利得金返還債務は、弁済期の定めがない債務として発生しているから、被告に対する本件訴状が送達された日(平成七年八月二六日)に弁済期が到来したといわなければならない。

五  原告両名の敷金返還請求について

1  敷金のうち三〇万円を敷引きとする本件特約は、家賃値引きの代替条件となったという意味で一種の権利金のような性質を有するともみられるが、本件賃貸借契約の期間(二年間)分の家賃値引きの総額よりも敷引きの金額が高額であることをも考慮すれば、特別な反対事情のない限り、本件特約は、本件居室の通常の使用に伴う居室・付属設備の汚損・損耗の原状回復に要する費用の前払いを行うとの趣旨を含み、そのような汚損・損耗についての原告両名の原状回復を免責したものと解するのが相当である。

2  原告両名は、本件居室が住宅金融公庫の低利融資の対象物件であり、敷引きが禁止されているから、本件特約が公序良俗に反して無効であると主張するが、住宅金融公庫と被告との間で合意された融資条件において将来の賃貸の際の敷引きが禁止されていた場合に、被告が原告両名との間で敷引きに関する本件特約を合意することは、被告の住宅金融公庫に対する違約となるとしても、被告と原告両名との間の合意の効力まで否定される理由はないというべきである。

したがって、原告両名の右主張は失当であり、本件において被告が原告両名に返還すべき敷金額は各一二〇万円である(なお、本件特約による敷金三〇万円の返還義務の不存在について、敷金が一二〇万円にすぎないという前提で応訴している被告が明示的に援用しないところであるが、裁判所において本件特約を斟酌して法的判断を行うことは何ら妨げられないものである。)。

3  そこで、被告が本件居室明渡しの際に敷金から控除した金額の当否について検討する。

まず、平成七年二月分及び日割計算による三月分の未払家賃等(原告山口に係るものが二二万五三三〇円、原告森に係るものが二二万九三三〇円)及び原告森に関するクロス貼替費一四万四五〇〇円の控除が正当でないことは既に説示のところから明らかである。

次に、エアコン償却費(原告両名につき各一〇万円)及び原告山口に関する畳の交換費についても、通常の損耗に係る原状回復費であって、敷引きによって償われるものであるから、改めて敷金から控除することはできない。

4  したがって、被告は、原告山口に対し、返還すべき敷金額一二〇万円から既払額九九万四一七〇円を控除した敷金残額二〇万五八三〇円を、原告森に対し、返還すべき敷金額一二〇万円から既払額八五万四六七〇円を控除した敷金残額三四万五三三〇円をそれぞれ支払う義務がある。また、被告の右敷金支払債務は、明渡しから七日が経過した平成七年三月一七日に弁済期が到来したものといわなければならない。

六  原告両名の弁護士費用に係る損害賠償請求について

被告と原告両名との間で敷金返還義務の範囲で争いがあり、被告には敷金支払債務の不履行があったことは右のとおりであるが、債務不履行が直ちに相手方債権者に対する不法行為となるわけではなく、兵庫県南部地震後の混乱した時期において、返還すべき正当な敷金額に関して法的に正当な結論を導き出すことが必ずしも容易でない事案において、被告において、賃貸人に有利な見解を主張して敷金返還義務を争ったとしても、そのことをもって、悪意ある不当な争訟であるとまでいうことはできない。

したがって、敷金返還債務を争ったことが不法行為であるとの前提でされた原告両名の損害賠償請求は失当である。

七  以上の次第で、原告両名の本件請求は、(一) 平成七年一月分家賃等に係る不当利得金及びこれに対する弁済期の翌日である平成七年三月一九日から、(二) 補修・清掃費に係る不当利得金及びこれに対する弁済期の翌日である平成七年八月二七日から、(三) 敷金残金及びこれに対する弁済期の翌日である平成七年三月一八日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるものとして認容し、その余の請求は理由がないものとして棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

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